2010年9月25日土曜日

懈怠と懶惰

今年の夏は「明日出来ることは明日にしよう」をモットーに過ごしてきた。涼しく(むしろ寒く)なってきた今日やっと雪崩を起こしそうに積み上げられていた手つかずの新聞の山を片づける気になった。夫は仕事が忙しく、私はただ余裕がなくて1か月以上も新聞をためた。朝ポストから取って、椅子に積む。広告も挟まったまま。雨除けのビニールに入ったままのものもある(苦笑)。
でもこのまま古新聞用の紙袋に詰めるのも癪に障る。毎朝ポストから家へ運んで、読まなきゃ~というプレッシャーに耐え、あげく四つ折りにして袋に詰めて紐を締めて出すという仕事を増やすためだけに新聞代4000円を払うなんて!と、思って今まで片づけを先延ばしにしていた。
だから、自己満足のためにざざざーっと目を通したらこんなコラムが目にとまった。

「自分で年を取ったなと思ったのはいつ?」という質問に対して女優の高峰秀子さんは「明日にしよう、そう思った時ですね。」(ギクッ)
でもこれだけが無精なのではなく、無精には2種類あり、一つは「今日ノ所作ヲ明日作スコト」もう一つは「明日の所作ヲ今日作ス」ことであると国文学者の故佐竹昭広さんが書いていると続く。はじめの方が懈怠(けだい)、あとの方が懶惰(らんだ)。どちらも今日からの逃亡であることに変わりはなく、明日のことを行って一向に支障がないほどあいているなら今日自体が充実していないのだということになるのだそうだ。

むむむ、なるほど~。自分の時間を早く作りたくて今をしっかり過ごさないことがよくある。今は子どもと向き合った方がいいな、と思いつつ今やらなくてもいいことが気になってしまって、でも慌てて仕事を終わらせてみたところで雑用で疲れきって、自分の時間どころではなかったり...今を大切にせずいつを大切にするんだろう。未来はあるとは限らない。過去が自分を作ってく。今は今だけ。

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